1951年に建てられた東京日仏学院。
当時の設計は近代建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事した建築家、坂倉準三によるもの。
一方、2021年に竣工した新校舎Village as Instituteは気鋭の建築家、藤本壮介が担当。
新緑の季節、mizuiro indと共に、白が象徴的な新旧のモダン建築探訪へ。
Institut français de Tokyo
古くは花街として栄え、入り組んだ路地や石畳の道が今も残る神楽坂。神田川沿いの外堀通りから住宅街へと続く細い坂を上ると、せり出した屋根とユニークな形をした柱からなる白いモダンな建物が現れる。
東京日仏学院は、1952年にフランス政府の公式機関で日仏文化交流を図る施設として誕生した。
この神楽坂周辺は、街並みがどこかモンマルトルを想起させるということから「東京のパリ」とも呼ばれているが、始まりには東京日仏学院の存在があるとも言われている。70年以上の歴史を誇る施設は、この地に根付き、親しまれている。
1951年に竣工した旧校舎を手がけたのは、建築家ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した日本人建築家、坂倉準三。1930年代にル・コルビュジェのアトリエで、2回の帰国を間に挟みながら足掛け約9年間働いた彼は、パリ万国博覧会日本館の設計に携わり、1937年に建築部門のグランプリを受賞するなど、世界的評価を得る。その後、⽇本に帰国。第⼆次世界⼤戦を経て、東京日仏学院や神奈川県立近代美術館などを手がけ、家具や住宅から都市計画まで、ミッドセンチュリー期の日本の建築・デザイン界を牽引する存在となった。
その坂倉建築の傑作の一つとして位置づけられるのが、東京日仏学院。外観はル・コルビュジエの影響を彷彿とさせる真っ白な外壁と直線的なデザイン。そこに日本的な美意識を取り入れ、シンプルでありながら、美しく機能的な意匠やディテールへの配慮が徹底された。坂を登る途中から目に入る、上部が膨らんだバルコニーの柱は、キノコのような形から坂倉が”シャンピニオン”の愛称で呼んだもので、施設のシンボルの一つ。L字型の校舎の中央に位置する「坂倉の塔」もまた、天窓から光が差し込む螺旋階段で知られる、象徴的な存在である。実はレオナルド・ダ・ヴィンチが設計したという説もある、ロワール地方にあるシャンボール城にある二重螺旋階段と同じ構造で、上る人と下る人がすれ違うことなく2つの動線を分けた巧妙な設計となっている。
2021年には、旧校舎と中庭を挟んで向かい合うように新校舎”Village as Institute”が建てられた。設計を担当した建築家・藤本壮介は、2019年にモンペリエにある集合住宅“L’Arbre blanc(白い木)”を設計するなど、フランスでもとてもよく知られる存在である。新校舎は、南仏の村をイメージし、中庭に面した複数の教室をテラスと回廊で繋げた建物で、人々が村の中を歩き回るように、自由にアクセスし散策することができる空間となっている。
新旧の2つの建築が対話するように、時を超えて調和する東京日仏学院。美しいデザインを引き継ぎ、修復し、改築しながら大切に守られ、さらに現代にフィットする形でアップデートしていく。
モダンでタイムレスなその在り方は、mizuiro indが大切にする、記憶に残り続ける服でありたいという想いにも通じている。
東京日仏学院
〒162-8415 東京都新宿区市谷船河原町15
www.institutfrancais.jp/tokyo/
STAFF
photo : Saki Yagi
styling : Mana Yamamoto
hair & make-up : Masayoshi Okudaira
model : SUZI
text & edit : Naoko Sasaki